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2013年4月22日月曜日

【参加者の声】4.20郡山アクションに参加して(1)「どんな感じってどういうことですか?」


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昨日4月20日(土)に、総勢33名がバスで東京から郡山に向い、、リーフレット配布アクションを行いました。

以下、参加者の皆さんの感想です。

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                                  壷井明(画家 絵画「無主物」作者)  

今日は、貴重な機会をもうけてくださり、ほんとうに、ありがとうございました。

自分として、ずっと、福島の若いひと、中学生、高校生なんかと直接話がしたかったんです。
自分個人として福島に何度も行って現地の方のお話をうかがい、それを絵にしているのですが、出会う方は皆、”おとなのかた”なんです。
色々話を聞いていて、そもそもこの被曝の影響というものは、そんな若いひとたちに出るわけで、その点でも実際のところなにが起きているのか、そんな中学生、高校生に会って直接、聞いてみたかった。でも、そういう若いひとたちと話す機会というのは、これまでどうしても作れませんでした。
 

リーフレットを配るのに、自分は郡山駅の西口の隅でやりました。
そこはマクドナルドだとか、若いおんなのこの靴屋だとか、若い人向けの店が並んでいて、学生服を着た中学生、高校生、洒落っ気のある少年たち、おんなのこたち、そんな層のひとたちが多く通る場所でした。
自分は手が大きい方で、右手にリーフレットの束を持ちまして、配りました。

結果的には、その束を全部受け取ってもらえて、二回目に補充した分も七割がた、手に取ってもらうことができました。何ぶん数をかぞなかったもので確実な事は言えませんが、100ほどではないかと思います。
で、通り過ぎてゆくそうしたおよそ100名の人達にどうやって渡したのかというと、まず

「福島集団疎開裁判ってご存知ですか。」

と聞くことにしたのです。
ほとんどの方、これは若いもなにも関係なく、”かかわりたくない”という態度で歩み去ってゆくのですが、自分はあつかましいんですが、そのまま追いすがってそうして”知らない”と一応の反応をされる方達に説明していったのでした。

「知りませんか。」
「これはね、今、郡山市の中学生14人が、いろんな理由、仕事の都合、学校の都合があってどうしてもここ(郡山市)を離れられない事情がある、だから、せめてこどもだけでも安全な場所に逃すその分の金を出してくれ、って郡山市に対して訴えた裁判をやってるんです。」

ずんずん歩いてゆくものだからものすごい早口で言ってゆくんですね。
こちらもずんずん脇について、しつこく話してゆく。
でも、その説明を聞き終えると、手に取ってくれるんです。
学生服の女学生、男子学生。
洒落っけのある、ちょっと威勢の良さそうな少年の集団。
メイドコスの若い女の子の二人連れ。
まじめそうな学生。
ギターを抱えた兄さん。
もちろん、それがすべてではなく、
「私は原発推進だから。」
と言う勤め人、
「そんなもん配るな」
と赤ん坊を抱いて荒く歩み去るお父さん、いろいろ居る。
でも、いずれにせよ、自分がそうしておそらく100枚ほどのリーフレットを手渡した人達の結論として

”誰一人、福島集団疎開裁判のことを知らなかった”
んです。
これは、100%でした。

自分は正直聞いてみたかったんです。
どうして、これほどのことが起きたのに、これほどまでに動かないのか。
それで聞いてみたら、
「知らない。」
というんです。

その後、街を歩きながら自由行動のような時間がありましたが、やっぱり自分は中学生、高校生と話をしようと思っていました。
それで、開成山公園の見える角のところのコンビニにいると、洒落っけのある少年達6人くらいが、ダンスの見栄えをあれこれ言い合って、中腰になり、腕をぐるぐる振り回している。”ああそのほうがきれいに見える。””おれはちょっと”なんとか言っている。
それで、すこしそれを眺めていてから、ちょっとリーフレットは置いておいて近寄って聞いてみたんです。

「今日、東京から来たんだけど」
「今、学校はどんな感じ?」

耳にピアスを二つくらい開けて、悪がき、という感じなんですが、
「どんな感じってどういうことですか?」
おどろくほど、まっすぐな表情で言うんです。
「いや、事故があったじゃない。放射能とか被曝とか、さ。」
すると
「なんにも気にしてません。」
「気にしてません。」
答えるんです。
「からだ、具合わるくなったりしない?」
「だいじょうぶです。」「だいじょうぶです。」
「ともだちで具合わるくなった同級生とかはいるの?」
「いません。」
「学校の先生は、こういうことは話す?」
「いや、ぜんぜん。」
「そうか。クラスの同級生で転校したり、っていうのはある?」
「あります。」「ある。」「あります。」「あります。」
ほとんどの子が言うのでした。
「クラスに一人くらいの割合?」
「一人、そうですね。」
「わかった。教えてくれてありがとう。」
自分はもどって、それからリーフレットを持って来ました。

「福島集団疎開裁判、って知ってる?」

「しりません。」

やはり知らない。
みな、口を揃えました。
「今ね、いろんな事情、仕事があるとか学校があるとかでどうしてもここを離れられないひとがほとんどでしょ、でも、小さいこどもだけは安全な場所で生活、勉強させる金を出せ、って裁判をやってるんだよ。」
あえて強い言葉で自分は言いました。
少年達は、みな、聞いていました。

「君たちは、小学生?中学生?」

「中学生です。」

「そうか。この裁判をおこしたのはね、郡山市の、きみたちと同じ中学生14人なんだよ。ここでこういうことを言ってるのがわかるといろいろ面倒になる。

だから14人はみんな名前も、顔も表に出来ないんだ。でも、表にしないけど、
裁判をおこしてるんだ。よかったら、これ、見て。」
そうしてリーフレットを出すと、みな、持ってゆきました。

先ほど書いたとおり、自分は聞いてみたい、確認したかったんです。
”なぜ、これほどのことがおきても、福島のひとたちがこれほどまでにうごかないのか。”

それで、こうして聞いてみると、その理由は
「知らない。」
ということなんですね。

「知らない。」から、うごかない。

これは、大きな希望だと思うんです。



じゃあ、「知ったら」どうなるのか。


自分がこの日したように、ただ手渡すだけではなく、説明すると受け取ってくれる。
これはつまり、”会って話す”ということが、ものすごく重要なことなんだと思ったんです。もちろん話す上でのテクニックは必要になります。

最初に、集団疎開裁判を知っているかどうかと聞く事。
しつこく、説明してみること。
簡素にまとめること。

それはありますが、話して、伝えることに変わってゆく可能性がある、ということなんです。
”しゃべること。”
このことがものすごく、重要だと思うんです。
知らないから、動かなかった。では、説明して”知ったら”どうなってゆくのか。
これは、郡山市だけではなく、福島、もっと言うと日本全体のありように、”
しゃべる”ことで変わってゆく可能性がある、ということだと思うんです。

被曝する、ということはあります(自分は線量がだいたい0.5μを超えるところで吐き気が生じます。吐き気がして、測ると0.5μ以上ある、そんな具合です)。でも、東京からは、福島の現地に行って東京の知見を伝え、”今、こんなことがおきているんだよ””福島は、こんなふうに見られているんだよ”、
福島では、自分がしたように、しゃべってみてその上で知った見聞を東京、福島外の場所で伝える、”福島に行ったらこんなことを聞いた、こんなことが起きていると聞いたよ、”そんな情報の、なんというか受け渡しが、とても必要なのだと思うのです。

こうしたことを確認できたのは自分にとって大きな成果でもあるし、これは自分だけではなく、福島集団疎開裁判さんのこれからの在り方というものに、とても大きな、一つのヒントを与えるものではないか、と思うんです。

そのうえで、14名の中学生がこの裁判を起こした、このことがやはりとても重要だと思います。
彼等中学生、高校生といった若いひとたちに

「きみたちと同じ場所に住む、同じ中学生が、今、たたかっているんだよ」

と、なかなかかかわり合いのとりずらい若いひとたちと交渉をもてる、「橋」のようなものとして機能するんです。
ほんとうに、今日の機会を設けてくださり、ありがとうございました。

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